”退屈でした”------
ある日、傷害事件を起こした少年「遥」。
彼は裕福な家庭に生まれ、両親の愛情を受けて育ったごく普通の少年だった。
日常に突如として顕れた「心の闇」に戸惑う両親、憤る被害者夫婦、その実像に迫れずにいる司法。
彼はなぜ非行に至ったのか。家庭環境?人間関係?発達障害?
彼はどのようにして事件と、被害者と、そして彼自身と向き合うのか。
変化する少年たちを前に、求められる少年司法の在り方とは—
虚像の先に司法は、あなたは、何を見出すでしょうか。
テーマについて
第69回模擬裁判公演のテーマは『少年犯罪』です。
少年犯罪は厳罰化が議論になるなど身近な話題であると思います。
ところで少年犯罪は、2000年代初期から特に非行歴のない少年が重大な犯罪を起こすいきなり型犯行が多い傾向にあります。これらは調査や鑑定で非行の原因を一元的に特定できないことが多く、“心の闇”とされてしまっており、専門家の一部ですら“心の闇”の究明を投げ出してしまっている現状があります。
本来少年法は少年の保護・更生を目的としたものであるはずですが、非行の原因である“心の闇”が究明されていない以上、少年法や関連システムは少年犯罪の現状に適応することができていないと言えます。
このような現状で果たして安易に厳罰化を望むのが果たして正しい選択なのか、少年達の“心の闇”に“おとな達”はどう向き合っていくべきなのかを見に来てくださった方々に考えていただけるような劇にしたいと考えております。
第69代脚本主任 窪田 梓
タイトルについて
「少年犯罪」と聞いて、何を思い浮かべるでしょうか。神戸や豊川、佐世保の事件が記憶に新しい方もいらっしゃるかと思います。
これらの凄惨な事件を皮切りに、動機のない少年犯罪―すなわち、”普通の子”による突発的な犯罪に注目が集まり、少年司法もその在り方を問い直されました。「心の闇」という言葉なら聞き覚えがあるでしょうか。
”動機がない”というのは”動機がわからない”ことを曖昧に表現した言葉です。理解不能に人々は恐怖し、その正体を暴露すべく様々な議論が飛び交いましたが、結局明確な結論は得られず、「闇」という言葉で蓋をするしかありませんでした。その蓋は今もなお閉ざされたままです。
逃げ水とは、虚像を映す大気光学現象の一種です。蜃気楼の仲間といえば分かり易いでしょうか。うだるほど暑く凪いだ日に濡れて見えた地表が、追いかけても追いつけないことから名づけられたそうです。
おとな達が虚構に輪郭を与えて少年の心とし、結果その心に至らないことを逃げ水という現象に、少年「遥」の心を”夏”に例えて、タイトルに込めました。
この虚像のストーリーが、あなたのすぐ近くにも潜む闇と司法との関わりについて考えるきっかけになれば光栄です。
タイトル発案 第69代脚本 川端 一輝
第69回公演ポスター