2011 第60回公演『迫間』―死刑と裁判員―


ある日突然事件は起こった。閑静な住宅街で、何者かに母親とその子供が殺害されたのである。現場に残された証拠から被疑者として浮かび上がってきたのは、その付近に住む1人の男だった。

 

男は会社をリストラされ、家族を養うための生活費や妻の手術費を必要としていたが、一向に再就職先は見つからなかった。そして、依然からめをつけていた家に誰もいない日を見計らって、空き巣に入ることを決意したのだった。

 

しかしここで被告人の計算 は狂ってしまう。空き巣だと思って侵入した被害者の家には、その日偶然風邪で幼稚園を休んでいた子どもとその母親がいたのだ。犯行を発見された被告人は、動揺して2人を殺害してしまう。

裁判の争点は殺害の計画性と故意の有無に絞られる。

 

裁判員に選ばれた会社員の前田研一は、他の裁判員や裁判官と共に悩みながら真実を追い求めていく。

わざと殺したのか、それとも事故だったのか。被告人にふさわしい刑罰は何であるのか。

 

幼い頃から経済的に苦しい生活でつ らい思いをさせてきてしまったと証言する被告人の母親と、命をもって償って欲しいと強く主張する被害者遺族の言葉を聞いて、裁判員の心は大きく揺り動かされる。

 

生きて償うべきか、命をもって償うべきか。  

究極の選択を迫られた裁判員の結論はいかに-。   

テーマ決定に際して


 2009年から裁判員制度が始まり、国民の刑事司法参加への道が開かれました。一般市民から構成される裁判員は、死刑求刑事件にも関与することになり、昨年11月には裁判員裁判による初の死刑判決が出されました。そして、同月、ここ宮城県でも石巻で起きた少年事件において、被告人に死刑判決が言い渡されました。

 

 現在、「死刑制度」は世間から注目されていますが、日常生活の中でじっくりと考えることはあまりないのではないかと思います。そこで私たちは、市民の皆様に一度立ち止まって「死刑」を見つめ直すきっかけとしていただければとの思いから、今年のテーマを「死刑と裁判員」に決定いたしました。裁判員の心境はどのようなものか。死刑は存置すべきなのか、廃止すべきなのか。死刑の存在意義とか何か。償いとは何か。遺族の願いとは。突き詰めると、考えなければならないことがたくさんあります。さらに、来年には裁判員制度の見直し行われます。そこで、今こそ、裁判員制度における裁判員の役割について改めて考える良い機会であると思っております。

 

 私たちの今年の目標は、「法学部生としての視点から社会問題を取り上げ、市民の皆様が法と社会の関わりについて考えるきっかけとなる裁判劇を行う」というものです。私たちの裁判劇が、市民の皆様にとって「死刑と裁判員」について考えるきっかけとなれば幸いです。

迫間表紙
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